金剛般若波羅密経
《金剛般若波羅密経》の略称は《金剛般若経》、《金剛経》です。経文は全部で三十二分あり、後秦の時代に鳩摩羅什によって翻訳されました。経題の『金剛』の意味は般若の法は世の中全ての妄想や執着に汚染されず、壊されないとの喩えです。『般若』は断ち切ることのできる智慧です。『波羅密』は究極、円満、やり遂げるなどの意味です。直訳しますと「彼岸に到達」と言う意味になります。《金剛般若波羅密経》の題名の意味を説明しますと、金剛のような般若智慧の如く、人々が諸々の法に通じ、執着や障碍を破ることができる。経文のように大きく発心し、大きく修行すれば自利利他の不思議な功徳を円満に達成でき、生死の流れを超越し、究極の悟りの彼岸に到達できます、そして最後には菩提の果を証ずることになります。
このお経の主旨は「無相布施、無我度生、無住修行、無得証果」を説明しています。
我相、人相、衆生相、寿者相の執着や区別がないことが本当の布施です。自他の感覚で衆生を悟らせることを無くせば無量の功徳が得られます。どこにも留まっていず、執着のない心で修行することこそ仏の境地に昇進することができます。無智、無所得こそ無上菩提の法を証することができます。ですから、僧肇は《金剛経》の前半は衆生が空、後半は法が空と言っています。智者と吉蔵は前半は利根者のために説いている、後半は鈍根者のために説いていると言っています。意味をまとめると前半は信教と理解で心の相を排除し、我と法を区別する二執着を断ち切るため正しい智慧の啓発に重きを置いています。
後半は顕著に万有の本体を説いて、心の相を排除し、出てきた我と法の二執着を断ち切る。次ぎに三十二分の内容を概略説明致します。
※法会因由分(一):これはこのお経の序です。仏陀がいらっしゃった時代の説法儀式を説明しています。仏陀の日常生活は弟子達と差別はありませんでした。仏陀は何事も慈悲に基き、体が動いている時には人にも物にもご利益を与え、静かに居る時は心を修め心性を練っていらっしゃいました。
※善現啓請分(二):須菩提は仏陀に如何に菩提心を常住させ、引き返すことのないように。又如何に妄想の心を降伏させたらよいのか般若の妙理を説明して下さるようにとお願いしました。
※大乗正宗分(三):修行する人は我、人、衆生、寿者四相の執着から離れるようと仏陀は須菩提に言いました。
※妙行無住分(四):菩提心とは心で考えるだけではなく、実際に実行して衆生を救済し、悟らせる。しかも相に留まらないと仏陀が言いました。
※如理實見分(五):仏陀は相に留まらない福徳を衆生に教えています。
※正信希有分(六):無相の因は無相の果になる。因が深ければ果も深いものとなりますと仏陀は人々に教えています。この意味は信じ難く理解し難い。ですから正しい信仰は希であると言いました。
※無得無分(七):須菩提の悟りの体得を明示している。自性はもともと空であり、得られる仏法もなければ、言うほどの仏法もありませんと説明しています。又、法、非法とも取るべきではない理を説明しています。
※依法出生分(八):諸仏妙道は皆このお経のお蔭で佛になりました。このお経の教る通りに修行するようにと教えています。
※一相無相分(九):既に四果を証した聖者達を悟らせ、四果の相に留まらず仏道に入る。
※荘厳浄土分(十):浄土とは清浄の心です。なにも何所にも留まらない心からは清浄の心が生じ、浄土を荘厳します。
※無為福勝分(十一):無為法で布施すれば得られた福徳は無量無辺であると説明しています。
※尊重正教分(十二):般若正教を尊重する人は天人に尊重されます。
※如法受持分(十三):仏陀の教えを聴聞してから理解を求める、理解した上で実行する、実行してから般若妙法を証します。
※離相寂滅分(十四):仏陀は声聞、縁覚二乗に相の執着から離れるように発心して、般若の法で布施する功徳を教えています。
※持経功徳分(十五):このお経を称え、写経、実行する人の優れた功徳を言う。
※能浄業障分(十六):このお経は悪い業の障害を取り除くことができると言っていま
す。
※ 究竟無我分(十七):十六分までのまとめ、菩薩は一切の相から離れ、阿耨多羅三 藐三菩提心を発しなければいけません。又、心はどこにも留まらないようにしなけれ
ばいけません。
※ 一体同観分(十八):如来様は五眼を持っていることで凡人から聖者に転じること、又、徐々に修行する段階から悟りを開くまで智慧の変化を示しています。
※ 法界通化分(十九):七宝で布施するよりも相を離れた方がもっと勝れている。真空般若を理解すれば十法界に通じ、無量無辺になります。
※ 離色離相分(二十):この分は色や相、非相を離れれば如来様が見えてきますと
言っています。
※非説所説分(二十一):「法無我」を説明し、今まで法相に対する執着を全て綺麗に掃いてしまいます。
※無法可得分(二十二):般若妙法はもともと自分達が持っているものです。何処からも得られるものでは有りません。得られると言うならそれは執着がまだあると言うことです。
※浄心行善分(二十三):平等浄心は我々もともと持っています。平等浄心で善法を
修めることの重要性を指示しています。
※福智無比分(二十四):いくら沢山の七宝を布施しても般若妙慧で布施する功徳には及ばないと大衆に説明しています。
※化無所化分(二十五):仏法の平等を示しています。我、無我で凡夫や聖人を判別する。
※法身非相分(二十六):諸法功徳で積み重なった体は法身と言います。法身は縁起無自性のものです。三十二相も同様であると明示しています。
※無断無滅分(二十七):般若法はもともと不生不滅、生、滅の法で論ずることはできません。
※不受不貪分(二十八):大乗菩薩は我と法ともに空であり、無生法忍を証し、その
功徳はガンジス川の砂ほど多くの七宝財宝を施すよりも大きいと明示しています。
※威儀寂靜分(二十九):如来様の性徳、何処から来るものでもなく、何処へ行くものでもない、仏性は至るところに存在していると明示しています。
※一合理相分(三十) :細かい塵の世界も全て実際のものではない。一合相にも執着してはいけません。
※知見不生分(三十一):相を離れ、見を離れ、全ての知、見の相を空にすることを明示しています。
※応化非真分(三十二):全て真空無相です。仏陀の言った言葉や文字、形、相は衆生を悟らせ、教化するために使ったものであって真実ではない。ここまでに来て仏陀は衆生の執着を破、般若の理を明示する。又、「理悟は実践と離れられない、実践にあたっては理悟を重視しなければいけない。」と修行者は実践をメインにするべきであり、何もしないでただ空に偏ってはいけませんと明示しています。
金剛経は中国ではとても有名な佛教聖典であります。佛教徒は災難除けや福を祈る時には金剛経を称えます。唐の時代の僧侶は剃髪出家する時必ず朝廷のテストに合格しなければいけませんでした。そのテストの主要科目の中に(金剛経)が入っていました。
禅宗の五祖の弘忍が当初恵能に法を伝える時に称えた経も(金剛経)でした。(金剛経)が普及した理由は深い哲理と流暢な文章、又、実践法門として使えるためです。
(金剛経)の般若智慧によって修行すると、日常生活に般若があって、人は安心、洒脱悠々自在になれます。近代の太虚大師、星雲大師の関係ある著作は全部この(金剛経)を研究する際の参考になります。